情けは人の為ならず

今日は二年生の卒業試験があった。
ワシは試験監督として入ったけど、
いつもは平気で遅刻してくるような子たちも
今日は緊張した面持ちで、静かに席に座っていた。

考えたら、一年前。
ワシが入職したばかりのとき、
彼らの前で挨拶をしたときのことを思い出す。
一番前の席の子が、いきなりペンを持ち出して
ワシの名前フルネームを自分のノートに書き出した。
なんだ、コイツ?ってかなりビビった。

そんなこんなで卒業を迎える彼らを
こうやって、試験監督。
いままであったこととかを思い出しながら
彼らに対して言いたいことを監督をしながら
自分のノートにしたためた。

内容は以下の通りである。

今まで皆さんに対して、適当なことばかりを言ってきましたけど
今日は少し、皆さんの為になるような話をしたいと思います。
まぁ、為になるか否かは、皆さんの受け止め方だと思いますが。

振り返ってみると、皆さんに初めてお会いしたのは、
ちょうど、一年前。私が挨拶しているのを尻目に
皆さんは人の話を聞かず、おしゃべりしたりしていました。

神は人間を作ったとき、一枚の舌と二枚の耳を与えました。
人間は生まれた時から、自分が話す二倍のことを人から聴かねばなりません。
人の話を聴かない若者が多い今日、
あなたたちは、自分の痛みや声を発することのできない利用者を相手にし
彼らの声なき声を感じ取らなければなりません。

学校の授業のなかでも、社会福祉援助技術という科目で
どうすれば、彼らの声を感じることができるか教えてきました。
そのなかで、「同情は禁物、共感するのだ」と教えました。
昔からのことわざにも、「情けは人の為ならず」という言葉があります。
中途半端な情けは、その人自身をダメにするという意味で使われています。
しかし、本当に情けをかけるのは良くない事なんでしょうか?

先日、新聞を見ていたら、三行の恋文というのがあって
その大賞に選ばれた作品を皆さんに紹介したいと思います。


「京都と神戸で遠距離恋愛なの」と私がぼやくと
「私なんて二十年も前から」とばあばが微笑んだ。
天国のじいじ、聞こえましたか


この中に出てくるお婆ちゃん、狂おしい程に愛苦しい高齢者に対して
情けをかけるのは良くないことなのでしょうか?
例えば、道を歩いていて小さな子犬2匹に出逢う。
可愛いと抱き寄せるが、1匹の子犬は次の瞬間死んでいた。
残されたもう一匹は、死んだ兄弟をペロペロなめたりしていた。
それだけの刹那で、人間は悲しい気持ちになれる。
つまり、相手の立場になれるってことです。
この情けというのは、人間に与えられた唯一の特権だと私は思うんです。

そもそも、「情けは人の為ならず」という言葉には
「情けを掛けると、掛けられた人は、また違う人に情けを掛けて…」
その繰り返しで、また自分に返って来るという意味もあるそうです。
つまり、情けは人のために掛けるのではなく、結局は自分のためだというのです。

情けばかりを掛けすぎるのは、勿論良くないことですが、
私は情の多い人は、人間的に魅力のある人だと思います。
そんな人に、皆さんはなって下さい。

皆さんがこの4月から現場に出ると
様々な利用者を相手にします。様々な利用者が皆さんを待っています。
彼らに情けをかけて、愛しましょう。
それが、やがて自分に返って来て、皆さんをより一層大きくするでしょう。

そして、最後に。
新しい門出を迎える者には、新しい道が開けます。
これからも身体に気を付けて、その道のうえで活躍して下さい。
影ながら応援しています。


書きながら気付いたけど、
これを彼らに伝える時間って、ないんよね。
卒業式まで彼らは来ないし。

そしたら、
私の心のなかと、ここだけで、留めておこう。

以上。
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by mikan_bivattchee | 2005-02-16 22:22 | 雑感
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