お盆最終日~祖父と祖母の出会い

お盆の最終日を迎えた。
午前中は兄たちとTVゲームで盛り上がって
午後から熊本県南関の温泉へと出かけた。


南関ICのすぐ近くにある『うから館』
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施設自体が大きくて休憩する場所もある。
浴場は広々として、幾つもの湯船がある。
あつめ、ぬるめ、水風呂、気泡風呂、寝湯、サウナ、歩行風呂
300円で以上のものが楽しめるのだ。


あっと言う間に時間は過ぎ去り、もう3時半。
4時に帰って、祖父母を納骨堂へ連れて行かなければならない。
猛スピードで実家に帰ってからすぐに支度をして出かけた。
たった3日間だった、我が家における祖父母の滞在も終わり。
何かと思い返すことがあったこの3日間。
納骨堂において、皆で『また来年逢おう』と言ってあげた。


そもそも、祖父と祖母は戦中の満州で知り合っている。
どのような馴れ初めだったかは、
祖母が書いていた日記で明らかになっている。
因みに祖母がこの日記を書き終えたのは、
昭和55年1月20日と記してある。
ワシら生まれた年だ。


祖母は地元の簿記学校を卒業してから、
姉の勧めで満州へと渡り、海軍工作部の事務員として働いた。
田舎出身は祖母だけで、よく苛められたそうだ。
昭和20年8月15日、会社で敗戦布告を聞いて皆で泣いた。
もう既に日本とは音信不通で、渡航船も出ず、デマが飛び交った。


やがて、ソ連軍の満州侵攻が顕著となり、
祖母も危険な身となった。彼女はこう述懐している。


八月二十日の晩、山猿みたいな赤毛で、垢にまみれたようなソ連兵が
戦軍トラック大へん隊で旅順侵入で、
一晩の中に海軍工作部も没収され、立入り禁止になった。
町にはソ連兵がキカン銃や連発中を持って、
女を見れば強姦、物は強奪するし、
女も戦頭帽子をかむったり、頭は丸坊主にしたり、
ナツパ服を着て用事のない以上は、
家の中から出ずある物をかじり家は窓や戸は、
木材でうちつけて中では音や声は立てないで、
来たら何時でも逃げる用意してくつは枕元においてねていた。
皆神経衰弱見たいになって青白くやせていった。



祖父との出会いは、以下の記述である。

逃げて行く先を見つけていなければと、
姉が見つけて来たのが官舎。
でも奥まった所に住んでいたのが、○○○○(著者注:祖父の日本名)。
同じ工作部で働いていても、大会社だから知らなかった。
姉は近所だから知っていたらしい。それが亡夫。


祖母は姉から『お前まで養うことはできん、働け働け』と言われた。
その頃、真っ当な仕事はあまり無く、若い女子がする仕事はパンパン(街娼)くらいだった。
遠くに満州人の野菜屋を見つけ、そこに住み込みで働き始めた。
暫く働いていると、布団一重と、カマナベ茶ワン一人前持って追いかけて来た男が居た。
それが、あなただった。
好きでもないが惚れられて養ってくれるなら引き揚るまでと同居した。



時代に翻弄されて、無我夢中で行き続けた二人。


写真は二人の子供たちが結婚して、手がかからないようになって
二人で各地の観光旅行をしたときの写真。

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この旅行が終わってから、祖父は具合が悪くなり、入院した。
そして、そのまま静かに息を引き取った。
死ぬ前に、故郷の台湾へは二度帰ることが出来たらしい。


祖母の口癖は『好きで一緒になったのではない』だった。
しかし、晩年には『爺ちゃん、一緒の墓に入っちゃるたい』
『あんたが居らんと寂しか』と口にしていた。


我が家には二人の遺影が隣同士に並んでいる。
祖父は真面目そうな顔をしているが、
祖母は受話器を持って笑顔で話している写真だ。
この写真はワシが、彼女の生前に撮ったものだった。
何かしらのこと、してあげれたのかな。


以上。


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by mikan_bivattchee | 2005-08-15 23:30 | 日記
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