<   2004年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧

高揚した紅葉の効用

山林に影の射したるしがらみは
流れも逢えぬ紅葉なりけり

紅葉を見に行った。



高揚した。
オーストラリア帰りの私を
癒してくれた。

日本人として生まれ
日本國に住み
日本國の文化で育ち
日本國の四季風情に触れ
日本國を愛するという
当たり前のことを改めて感じた。

些細な日常の中に
貴重な幸福があると思う。
その幸福を願う思いを
紅く染まり行く紅葉に馳せた
[PR]
by mikan_bivattchee | 2004-11-30 21:43 | 日記

中共の領海侵犯について

11月12日の午前6時未明、船籍不明の潜水艦が日本領海を侵犯した。
他国民が勝手に日本国内に入り、好き勝手放題した如く。
政府は午後8時45分に海上警備行動を発令し、緊急事態に備えた。
しかし、そのときにはその潜水艦は領海を出た後であった。


ようやく午後になって、政府は中国海軍所属の原子力潜水艦と断定。
その断定まで、政府は中共に対して
「貴国の潜水艦ではないだろうか」という打診さえもしなかった。
町村外相が同日夕、外務省に程永華駐日中国公使を呼び
「誠に遺憾だ」と抗議、謝罪を求めた。
程公使は「現在調査中であり、直ちに抗議を受け入れ、謝罪するわけにはいかない」と答えた。


16日になって初めて、中共は武大偉外務次官が
「調査の結果、中国の原子力潜水艦と確認した」と認めるとともに
「この事件の発生を遺憾に思う」と表明した。正式な謝罪の言葉ではなかった。
「遺憾に思う」というものは、残念に思うという意で、決して謝罪の意ではない。
日本政府はこれを陳謝として受け止めている。


チリ・サンディアゴで開催されているAPECで、
一年半ぶりに日中首脳会談が実現した。
首相は再発防止を要請するだけで、謝罪を要求することはなかった。
逆手を取るように中共国家主席の胡錦濤は、
首相の靖国神社参拝に対して中止を求めた。
両国に新たな進展はなかった。


実に情けない。
もっと迅速に対処できた問題であり、また、毅然とした態度で謝罪を要求することもできたはず。
もし同様の行動を日本がした場合には、中共は狂ったように怒り、
間違いなく爆雷撃を仕掛けてきたであろう。
領海侵犯とはそれだけの重大なことなのだ。
日本がポカーンと口を開けて他国潜水艦が領海から出て行くのを待っていたとは、
実に情けないものである。


しかし、現在の憲法や法制度では、何も対処できないのが現状である。
平和平和と叫んでいれば平和が訪れると夢想を描いていた時代はもう終わった。
国民はようやく左翼・共産主義・アカのウソや流布に疑念を持ち始めた。
本当の意味で自衛的な、自主的な行動のできる国づくりが進むことを望まずにはいられない。


以上。
[PR]
by mikan_bivattchee | 2004-11-22 21:42 | 時事問題

11月13日の朝方

日付変わった午前1時半頃、
シャワーを浴び終わった私を待っていたのは、内線の電話だった。
「先生?Aの具合が物凄く悪いから、すぐに部屋に来て!」叫ぶような声。
冷やしていた水と携帯している薬を持って、
眠い目をこすりながら、彼女らの待っている部屋へと急いで向かう。
Aは、以前から具合が悪そうにしていた女の子だった。


部屋をノックして中に入ると、Aがベッドでうなだれて汗まみれで寝ていた。
私は彼女の側に駆け寄り、症状などを聞いて一大事であることを認識した。
すぐにタオル三枚を水で冷やして、一枚を彼女の頭部に。
残り2枚を冷凍庫で冷やした。
そして、オーストラリアスタッフに電話連絡した。
すると「日本語医療センターのスタッフから、すぐにそっちに連絡させるようにします」
ということだったので、一旦電話を切ってから、その連絡を待つことにした。
待っている間に、彼女の呼吸や脈拍を測り、その他の症状をメモ紙に書き留めた。


何分か後、日本語医療センターの山田さんという女性の方から電話があった。
彼女にAの症状や飲ませた薬などを説明した。
彼女は「今からドクターに連絡して症状を伝えます。それでドクターの意見を聞いてから、これからのことを指示します」と言って、電話を切った。
迅速な対応を願った。ただ、ただ、電話を待った。


また、何分か後、山田さんからの電話が鳴った。
「ドクターの助言では、すぐに救急病院に連れていった方が良いと言われた。すぐにタクシーで、サウスポートにあるアラマンダ病院に行って下さい」
それを聞いてから、私はAを連れてホテルの一階に下りて、
フロントに居たボーイにタクシーを呼ぶように言った。


しかし、偶さか其の日は週末で、タクシー会社への電話が全くつながらなかった。
私は居ても立ってもいられず、Aをフロント前のイスに座らせて、
ホテル近くのタクシー乗り場へと走った。
しかし、タクシー乗り場には長蛇の列で、
幾ら待てども乗れそうにないのは目に見えていた。


ホテルへ戻る途中の道路で、運良く一台のタクシーが通った。
私は無我夢中でその車を停めて、運転手にホテルの方へ行くように要請した。
しかし、運転手のオジさんは「私の今日の仕事は終わった」と言った。
私は「これは緊急事態なのだ!頼むから」「それなら救急車を呼べ」と吐き捨てられて、
タクシーはテールランプを瞬かせながら猛スピードで去っていった。


打ちひしがれた私はホテルへ戻り、ボーイにどうにかできないかと問うてみた。
するとボーイが「ホテルのリムジンがあります」と言った。
「幾らだ?」「70ドルです」価格を聞いて迷った。しかし、背に腹は替えられない。
「すぐにリムジンを出してくれ」と言って、
Aに近寄り「すぐに車が来るから安心しろ」と言った。
彼女は微かに頷いただけで、相変わらず荒い呼吸を続けていた。


数分後、白いリムジンがホテルに入ってきた。
意識フラフラのAは、リムジンを見てビックリすることなく、
ただ自分の足取りを確かめながら、リムジンへと向かった。
乗り込んだ私達は、一路アラマンダ病院へ向かった。
山田さんと約束していた待ち合わせの時間には、随分遅れてしまっていた。


ゴールドコーストの町並みを流れる白いリムジン。
このような形でリムジンに乗るとは、誰が予想できようか。
Aの手を握って、すぐに病院に着くぞと安心させるような言葉を投げかけた。
彼女の症状はホテルに居たときよりも、少しは落ちついている様子だった。


白いリムジンは、アラマンダ病院のアクシデント&エマージェンシーの方へと向かった。
乗り付けると、日本語医療センターの山田さんが外で待っていてくれたのが見えた。
しかし、彼女の表情は「なぜ白いリムジン?」というものだった。
車を降りてから彼女に挨拶をして、病院に入った。
すぐに必要書類に詳細情報を書いて、ドクターに診察をしてもらった。


採血、採尿しての診察の結果、身体のどこも悪くなかった。
ドクターも首をひねっていた。私も首をひねった。山田さんも首をひねった。
Aはうなだれていた。
とりあえず、吐き気止めの薬を処方してもらって、病院を後にした。
帰りは山田さんにホテルまで送ってもらった。


車窓から流れるサウスポートからゴールドコーストへの街並みを、
日の出が薄暗く写していた。
ホテルに着いたら山田さんにお礼を言って、Aを部屋へと連れて行った。
ゆっくり休むように指示して、私は自身の疲れた身体を引きずりながら、自室へ戻った。
クタクタに疲れた身体を、ベランダのロッキングチェアーに横たえた。
どこまでも続く水平線から、太陽がオレンジ色の光を放ちながら昇ってくる。
正に、あけぼの。



嗚呼、仕事したーという感を得た。
ベッドが恋しい。
山吹色の光を背中で受け、部屋に戻り、やはり、泥のように眠った。
[PR]
by mikan_bivattchee | 2004-11-18 21:42 | 日記

11月12日

午前中は自立支援センターに行った。
学生達の疲れも頂点に達しているみたいで、全く集中していなかった。
私語も多く、余所見していたり。
多分、午後からの自由時間が早く来て欲しいと願っているのだろう。


難なく終わらせることができて、
皆と一緒に大学構内にある湖の近くでお弁当を食べることに。



気を使ってくれたのか、日本食だった。久し振りの日本食にビックリの一同。
早速開けて食べてみることに。
なすびの天ぷらっぽい黒い物体があったので、それから頂くことに。
嗚呼、天ぷらを口にするのは何日ぶりだろうと思い馳せていると、
何とその物体は、巻き寿司をそのまま天ぷらで揚げたものだった。
寿司天ぷら?寿司と天ぷらを、一度で二度美味しく味わえる?
バカにしてるのかッ!と絶叫してみると、
OZガイドは、オートスラリアでの日本食と言えば、
必ずこれが出てくると言うのだ。どういうこっちゃ。


午後になって、ホテルのあるゴールドコーストへ移動。
バスの中では学生たちの大半は眠っていた。
今夜の楽しい食事や買い物やホテル暮らしの夢を見ながら。
バスが着いて一斉にホテルへチェックインして、
学生たちは蜘蛛の子が散る如く、陽の暮れゆくゴールドコーストへと繰り出していった。


食事は学生と一緒にTボーンを食べた。
ホテル近くの夜市で少しの買い物を済ませて、
門限の9時半前にホテルへ戻って、学生達の帰りを待った。
誰一人門限を過ぎることなく迎え入れることができた。
今夜はゆっくり眠れそうだ、と予感した僕がバカだった。
深夜に起きる大事件のことなど、知る由もなかった。
[PR]
by mikan_bivattchee | 2004-11-18 21:41 | 日記

11月10日

本日も学生たちの素行は良く、訪れた先もいい反応や配慮をしてくれた。
しかし、独りの女学生の具合が悪くなり、訪問先ごとに少し休ませて貰った。
感謝。別段、彼女の具合は病院に行くほどではなく、何事もなく無事に終わった。



本日、ひーちゃんは引率先で居眠りをしていたらしく、
OZガイドや学生たちから非難の嵐であったらしい。当然のことである。
彼女には引率しているという意識や、責任というものが
欠如しているのではないかという言動が見て取れた。
彼女は引率に向かない。


そもそも、彼女とのコミュニケーションは日本語でも難しいのに、
英語しかしゃべれないOZガイド等との会話は成立しないと思われる。
OZガイドも薄々、彼女の奇怪さに気づいているはずだ。
「彼女はSTUPIDだろ?」と問いたかった。
問い詰めたかった。小一時間問い詰めたかった。


ひーちゃんは引率先の授業中で居眠りしてしまった。
そのことを我らにカムアウトして、今日は疲れているので、
ホテルの部屋で食事をすると言った。我らとしては嬉しいことだった。


結局、オーストラリアのスタッフに、ステーキをご馳走になって、
なぜうちのグループに入ったのか、どういうきっかけがあったのか、
先日オーストラリアを訪問していた○ポーツ科学科の、
○地先生のドタバタ話を聴くことができた。合掌。
[PR]
by mikan_bivattchee | 2004-11-18 21:40 | 日記

11月11日

朝起きていつものようにホテル2階で朝食を取ろうとするが、
客がいっぱいで入れなかった。
オードリー・ヘップバーンのように「ティファニーで朝食を」ではなく、
ブリスベンで朝食を取ることができないことに苛立たしさを感じた。


学生たちの集まるTBCに行くと、一様に疲れた表情の学生たちがたくさんいた。
ホストファミリー先では、芯からの安息は取れない様子で、
早くホテルへ連れて行ってあげたかった。
しかし、とりあえず今日やるべきことをやる。


今日私が引率することになったのは、
昨日に具合の悪かった女学生の属するグループだった。
彼女は気丈な人間なので、痛みや具合が悪い場合があったらすぐに言うように伝えて、
今日のスケジュールは始まった。


訪問先はハンディキャップを持つ人が、
生活訓練や職業訓練を入所と通所でサービスを受けることのできる施設や、
在宅における児童の事故など(ロープ、ナイフ、火など)を防ぐための
家のカスタマイズを進めるNPOだった。
実に興味深いもので、学生たちも興味津々になりながら話を聴いていた。



本日最後のスケジュールであるレクチャアがあっている最中に、
具合が悪くなったのが3人いて、
もはや学生たちの精神力や身体も限界に感じているように見えた。
いかんせん、ホテルで過ごすのは明日からなので、明日まで頑張れと皆に声を掛けた。
レクチャアが終わったら、バスでTBCに向かい、
毎日と同じようにホストファミリーが担当の学生を拾って、各々が家へと帰っていった。


そして、本日の晩餐は近い場所のサウスバンクという観光地で食べることになった。
ホテルのフロントで、歩いていけるか否か、
どの道を行けば良いのかを尋ねて歩くことになった。
サウスバンク付近ではブリスベン川に沿った町並みが明かりを照らし、
それが夜の闇に映えていた。カメラを持ってこなかったことを後悔した。
本当にきれいな夜景を楽しむことができた。


サウスバンクのレストランは多様にあって、
中華料理、日本料理、多国籍料理などたくさんの店が軒を連ねていた。
そこで私たちが選んだのは、トルコ料理であった。
トルコ料理は、日本人にとって認識が薄いものなのかも知れないが、
世界では三大料理のひとつとして数えられる。
古くから交易の盛んな場所でヨーロッパとイスラム、アフリカの各国の交流の場所として
栄えたトルコは、様々な国の料理のいい個所を取り入れたミックス料理といえよう。


中に入って、注文を英語でする。
たまたま、注文を受けた女性店員がとてもいい人で、オススメ料理などを教えてくれた。
それをそのまま注文していると、彼女があまりにも多すぎるので、
サラダはやめたほうが良いと言った。
言われるがままにキャンセルして、楽しい食事が始まった。


出てきた料理は最高に美味く、
どれもこれも減ったお腹に愚の音も付けることのできないような代物だった。
トルコ商人恐るべし。食べたり話をしながら過ごしていると、
突然店のBGMが大きくなった。トルコ伝統の音楽のようだった。
すると、店の奥からトルコの民族衣装を召した女性が踊りながら出てきて、
淫靡で妖艶なダンスを客に披露していた。
私が音楽に合わせて手拍子をしていると(手拍子をしているのは私だけだった)、
彼女が私のところにやってきて、ウィンクをした後、腰やお腹をくねらせて、
セックスアピールをし始めた。
私は思わず赤面して手で顔を伏せたが、
その指の隙間から、しっかりと彼女の陰部をチェックしていた。ハミ毛はなかった。


楽しい時間は矢の様に過ぎ去るもので、歩いてホテルに帰って、また泥のように眠った。
あぁブリスベン最後の夜を最高の形で締めることができた。神様、有難う。
[PR]
by mikan_bivattchee | 2004-11-18 21:40 | 日記

11月9日

午前中はUQで講義を受けた後、障害児のための学校を訪れた。
学生たちは興味津々にそれを聞き、質問も積極的にしていた。



一日のスケジュールが終わろうとする頃、
ストームと呼ばれる、日本の夕立の数倍禿しい雨嵐に遭ってしまった。
ズブ濡れになりながら、学生たちをホストファミリーの車に乗せて、
何とか一日の仕事を終わらせることができた。
すべてが終わったその時には、ウソのように雨はあがっていた。


その後、引率のスタッフと、オーストラリアで研修をしているエコの学生2人と
一緒にタイ料理を食べに行くことになった。
この2人のうち、F君というのが相当面白い人間で、
通称「笑顔の貴公子」と呼ばれるという笑顔の素敵な学生だった。
彼は今彼女が居ないというので、どんな女性が好みかと尋ねた。
すると、少し迷った後、「安達由美」と答えた。
昨日と同じように水を打ったように静まり返った空気となった。
今日び、安達由美を好みにしている男性が居るものなのかと。
一同が唖然としていても、その空気を全く呼んでいない女性が居た。


やはり、ひーちゃんだった。
ひーちゃんは自分の名刺を取り出して、学生2人に渡し始めた。
何で今かと。アホかと。バカかと。
名刺に乗せられた顔写真をF君が凝視していたので、
「キスしたいんやろ?」と冗談で言うと、
彼は「ちょっと待って下さいよ~、そこまで暗くないっすよ~」と、笑顔で答えていた。
笑顔の裏に爆弾を抱えていたことが分かった。
幸いにもひーちゃんには聞こえていなかった。ほっと。


楽しい食事はすぐに終わり、
ホテルに帰ってインターネットに何度か挑戦してみるがつながらず断念した。
妄想の怪の皆、もし待ってくれて居たのなら、禿しくスマソ。
以上。
[PR]
by mikan_bivattchee | 2004-11-18 21:39 | 日記

11月7日~8日

遂に来てしまった我がオーストラリア研修の引率。
間違ってもセクハラ発言や自分勝手な行動などを取らないようにしようと心に誓う。



寝不足の身体ではあったが、思いの他、学生たちの身勝手な行動などはなかった。
勿論、無事にホストファミリーも迎えに来てくれていた。
挨拶や記念撮影は後でいいから、と。
早く行っちまえと心では叫んでいた。
行ってしまえばこっちのもの。楽しい美味しい食事が待っている。


さて、晩御飯の時間になった。
ホテルで少し休憩の後、オーストラリアのスタッフが美味しい晩御飯をご馳走してくれるらしい。
嬉しい!食べに行ったのは中華。
お腹が減ってフラフラして倒れそうな身体が中華の八角の匂いに敏感に反応する。

出てきたのは、北京ダックならぬブリスベンダックや、
中華豚など、中華定番のメニューの数々で、
バカだから進めらるるが侭にバカ食いをしてしまう。
妊婦のように出てしまったお腹を抱えて車に乗り込み、ホテルを目指した。


その途中に、オーストラリアのスタッフから、
ブリスベンの若者が集うクラブを教えて貰った。
車窓から眺めれば、黒い壁にデカい女性のキスマークがあって、
店の名前は「BAD GIRLS」。
一同は、その名称に禿しく藁っていたら、
ひーちゃんが全くそれには関係ない話を突如として始めた。


車内は水を打ったように静まり返って、
誰が何と返答したら良いのか分からなかった。
正に彼女こそ「BAD GIRLS」。
家路に着き、ベッドの上で泥のように眠った。

黒い夢に逢うことはなかった。
以上。
[PR]
by mikan_bivattchee | 2004-11-18 21:38 | 日記

只今無事に帰郷致す。

皆様、只今。
オーストラリアから帰りました。


オーストラリアでのホテルでは
インターネットが使えなくて
私の連絡を待っていた方々
本当に申し訳なく思います。
また、ご迷惑をおかけした人も
沢山居ます。本当に済みません。
私が謝るだけでは済みません。


さて、突然の悲しい出来事があり、
涙ながらに帰郷すれば、
やらなければならないことが山積しておりまして。
帰郷してから、何や完や忙しいこの二日間で。
しかし、些細な日常のなかに
貴重なものが隠されていることを
改めて知ることとなりました。
お世話になっている人への、感謝。


オーストラリア日記(珍道中?)や
前述の悲しい出来事については
近々うpするつもりですので
乞う皆様の期待。


それでは、皆様に帰郷の報告だけ。
おやすみなさい。以上。
[PR]
by mikan_bivattchee | 2004-11-16 21:38 | 日記

妄想の怪

第一回妄想の会、宮崎遠征に行ってきました。
スーパー定時で仕事あがって、オーストラリア帰りの
さえ総監督を福岡国際空港で拾ってから
平均130kmでかっ飛ばしながら、一路宮崎を目指しました。


無事に着いてから、酒を飲んでいろいろ話しました。
僕が「おの丸井と付き合っている」というドッキリを敢行し
大ちゃんと、さえ総監督を見事にだましました。
グッジョブ!おの丸井!職場から手当て貰うくらいのナイス演技でした!


寝る頃になると、大ちゃんに対するレイプ紛いの攻撃。



ピンポンダッシュとケツの穴を見たり、丘を越えて茂みのオアシスにいる猫を見たり。
大きな耳に息を吹き掛けたり、「じゃ」を連続したり。
まるで阿鼻叫喚の如き世界で、レイプよりも屈辱的な被害を被った、大ちゃん。
しかし、次の日になれば、我らは彼に謝罪と感謝をしなければならないことを、
このときはまだ、知る由もなかった。


次の日になってダイエー選手団がキャンプを張っている場所へと移動。
高まる鼓動、打ち寄せる気持ちの波、小走りに球場へと向かう。
そしたら、イター!!!! ダイエーの選手たちがイター!!!!
大ちゃん、本当に楽しい思い出と素敵な出会いをありがとう!


オーストラリアから福岡国際空港経由で宮崎行きのさえ総監督。
お疲れのところ、高いテンションでありがとう。
ドアに挟まった浴衣を着ていた大ちゃん、ドアの中に吸い込まれていった浴衣を着ていた大ちゃん。
楽しい思い出と素敵な出会いをありがとう。レイプ紛いの暴力をしてごめんね。


…それと。
ナイスな演技と絶妙なギャグのキラーパスを連続してくれたおの丸井。
そんなおの丸井に感謝の言葉言いたいけど、それよりももっと言いたいことがある。
それは…






じゃ



以上。
[PR]
by mikan_bivattchee | 2004-11-06 21:37 | 日記